香りの可視化〜静嘉堂文庫

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静嘉堂文庫美術館で開催中の
~かおりを飾る~ 珠玉の香合・香炉展の
トークショー&ブロガー内覧会に参加しました。

トークショーで学芸員の長谷川先生がおっしゃった言葉が、深く私の心に刺さりました。


現存する香合や香箱は芸術品で
美しく高価なものでしたが、
その中に入れていた香りの材料、
香木や練り香は、
もっと高価な物でした。

そうなのです。
香りとは本物であればあるほど高価なのです。

例えば柔軟剤やペットボトルお茶の香料などの
安価な合成香料が日常生活に入り込んでいる現代において、
香りが高価だという感覚は、我々現代人にとってピンと来にくい、
なかなか皮膚感覚で実感し難いものです。

また、香りは目に見えないから、音楽同様、芸術において繊細な感覚を持ち合わせている教養人にしか
分からないものです。

その眼に見えない香りを視覚化するには、どうすれば良いのでしょうか?
例えば、香りの世界を美術展で伝えるには、どう見せれば良いのでしょうか?
例えば、香りの世界を伝えるカタログを作るには、どう見せれば良いのでしょうか?


その答えは、「パッケージ上手」になることです。


香りは眼に見えなくても香りの容れ物は、眼で見ることができます。

香りの容れ物が、素敵だったら
中に入っていた香りも、もっと素敵なものに違いないと
見手は想像力を掻き立てられます。


当工房もカルトナージュ作家に1点づつ、
子どものためのフルーツの香りの教育キットの容れ物を
作ってもらっています。



一点物ですから、当然、商品価格も高価なものになります。
「子供が使うものに3万円も4万円もかけられない」と一般のお母さん方は言いますが、
その同一人物が、自分がアロマ検定を受けるときの教材精油キットには、
つまり主婦の自己実現のための免許が欲しい時には、
3万円も4万円も平気でポイと出すのですから、
「主婦感覚の物差し」というのは、私のような人間にとっては理解不能です。


今回、長谷川学芸員のお話を聞いて、
私のやってきたことの方向性(パッケージに凝ること パッケージ制作にセンスと金銭を惜しまないこと)は、
間違えではなかったのだと、改めて思いました。


純天然の高価な香りには、それ相応の容れ物が必要なのです。
それが、真理です。

だからこそ、実際に香りを嗅ぐことが叶わなくても
我々は香りの器から、どれだけすばらしい香りを
当時の貴族や大教養人らが嗅いでいたか、
想像することができます。

また、当時は香りが和歌の素養=当時の教養と深く結びついていたか、
香りの容れ物(当時の香合や香炉)から可視化することができます。


残念なことに、純天然の優れた香りが芸術であるという事実を
我々現代人は、皮膚感覚で理解できなくなっています。

明治になって宮中行事から香司が外されてしまってから、
香りの芸術的位置付けと神格的位置付けが
落ちてしまったからです。
芳香とは、崇高なもの、天に届けるもの、という感覚が、
抜け落ちてしまったのです。

純天然の優れた芳香は、優れた音楽同様、シーター波に入って行って、
琴線に触れるものであるものであるか。

この感動は、いっぺんきりの体験であっても
体験した者にしか分からないのかもしれません。

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容れ物が香りを視覚化する。
当工房もこの真理を決して忘れず、コツコツ邁進したいと思います。





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by CaraA | 2017-06-18 21:58 | Trackback